Menu

「日本のサウナの原点はオリンピックにある」サウナ研究家・草彅洋平が語る日本のサウナの過去/未来

「ととのった」が共通言語のサウナ。サウナに入った後の心地よいスッキリ感はたまらないですよね。僕もフィンランド式のサウナが大好きで毎年洞爺湖で本格的フィンランド式のサウナを堪能します。そのサウナの原点をサウナ研究家・草彅洋平さんが史実とともに分析します。サウナの起源からその変遷、サウナがいつ日本に上陸し、日本に浸透したのか、目が離せない展開で理解できる素晴らしいコラムです。

亀田誠治

草彅洋平

古書に精通し、文学を軸とした多方面のクリエイティブが得意。フィンランド政府観光局公認フィンランドサウナアンバサダー。2021年、サウナを勉強する文化系サウナーチーム「CULTURE SAUNA TEAM “AMAMI”」を結成。『日本サウナ史』を上梓(第1回日本サウナ学会奨励賞・文化大賞受賞)。2022年12月1日に発売された『BRUTUS』創刊42年目にして初となるサウナ特集号の「チーフサウナプロデューサー」として、本誌を全面監修した。

日本サウナ史を調べる

2021年に『日本サウナ史』という本を出版しました。この本を書いたきっかけは一つの素朴な疑問です。

「いつサウナが日本に入ってきたのか?」 

 日本には約1万を超えるサウナ施設(サウナイキタイ登録数)があり、サウナブームと呼ばれているのに、日本へのサウナの伝来については非常に曖昧な言説しかありませんでした。そのうちの大きな説が1964年の東京オリンピック伝来説です。東京オリンピックを開催する際に、選手用にサウナを作った。そこからサウナの存在が選手、庶民にあまねく広がり、サウナ施設が増えていった。というストーリーは、あらゆるメディアやyoutuberなどが唱えていました。

『日本サウナ史』(AMAMI)

でも「果たして本当なのだろうか?」というのが僕の執筆の原動力。これまでに、サウナについてきちんと調べて書かれた本は皆無でした。だからこそ、過去のサウナについて書かれた文献を一冊一冊調べてみることに。すると、驚きの事実が判明しました。古い文献を読み進めていくことで、戦前の陸上選手たちがフィンランドの選手たちの影響を受けてサウナ浴をしていたことがわかったのです。そして二人の偉大なスポーツマンによって、日本にサウナ文化が知られていったことがわかりました。

”スポーツ武者修行” 岡部平太

岡部平太(1891-1966)

福岡県出身。福岡師範学校卒、東京高等師範学校体操研究科修了。シカゴ大学で体育理論、スポーツ生理学などを学ぶ。東京高等師範学校講師などを経て、大正11年満州体育協会を設立、理事長に就任。大連に当時としては最大規模のスタジアムを建設し、昭和3年には日仏陸上競技大会誘致に成功させる。大正時代に科学トレーニングを導入した実績や、敗戦で全てを失いながらも、福岡市に平和台陸上競技場を創設し、ボストンマラソンで日本人を初優勝に導くなど、近代スポーツの祖として、尽力した。

一人目はスポーツ万能の猛者・岡部平太です。彼は、なぜ日本のスポーツマンは世界で勝つことができないのか、長らく悩んでいました。1912年からオリンピックに出場するようになった日本は惨敗に惨敗を重ね、西洋へのコンプレックスに歯軋りしていました。

「なぜ日本人は勝てないのか。アジア人は欧米国に比べて弱い民族なのか?」

 1923年12月、岡部は日本人の強さを真に証明すべく、また列国の強さの秘密を探るため世界へスポーツ武者修行に出ました。8ヶ月にわたってアメリカ、カナダ、英国、スウェーデン、フィンランド、ドイツ、パリと旅行し、さまざまな国であらゆる競技を学び、体育理論や体育史をどんどんと吸収していきます。そんな岡部が特別な思いで訪れたのがフィンランドでした。というのも当時のフィンランドはアメリカに並ぶスポーツ大国。スター選手もたくさんいました。岡部は着いて早々、フィンランド陸上競技チームの練習を視察したり、選手たちにインタビューをしたりと積極的なコミュニケーションで友好を深めていきます。この旅の記録をまとめた『世界の運動界』(目黒書店)という岡部の本には、フィンランドでのサウナ体験がしっかりと記述されていました。

 

『世界の運動界』(目黒書店)

バス(入浴)の習慣は國々によつて異ふがフインランドのバスは一時獨特である、フインランドの競技者は、皆このバスが筋肉によいのだと信じて一週間に一度、二週間に一度はきつとそれをやる、巴里の大會で最も必要な準備はどうしてこのフインランド・バスを巴里に用意するかと云う事であると噂されて居る。(中略)
 このフインランドバスは、芬蘭の神話と共に存在するので芬蘭の人の體力はこのバスによつて保たれるとさへ考へられて居る、だから一軒の家が分れる時は先づこの風呂を作りそれが出來上がつて母家を建て始めて分家をする習慣になつて居る、芬蘭の田舎を汽車で通ると何の家にも必ず一つづつのこの小さい風呂が母家からはなれて建てられて居るのを見受ける。

出典:『世界の運動界』(目黒書店)

こうしてフィンランドのサウナ文化を日本に広めた岡部は、海外で学んだ科学的なコーチ法を武器に、日本のスポーツの近代化に多大な貢献をしていきます。

フィンランドのスモークサウナだけを集めた屋外博物館「サウナキュラ」のスモークサウナ小屋。(筆者撮影)

はじめて「ととのった」織田幹雄

織田幹雄(1905年-1998年)

広島県出身。昭和3年第9回オリンピック・アムステルダム大会の三段跳びにおいて15メートル21センチを記録し,我が国に初めての金メダルをもたらす。 国際陸上競技連盟,日本陸上競技連盟の各役員を歴任,陸上競技の普及発展に努める。

1930年(昭和5年)。日本学生陸上競技連合は未来の陸上競技者たちを送り込むため、初めてヨーロッパを中心とした海外遠征を決めます。主な目的は、ドイツのダルムシュタットで開催される第四回国際学生競技会に参加するため。全世界の学生たちが集まるため、オリンピックの試金石としてはうってつけの場でした。

 

期間は6月中旬から9月初旬までの約三ヶ月。フィンランド、エストニア、スウェーデン、ノルウェー、ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、ポーランドの9カ国を転戦する激しい旅程でした。陸上競技者であれば垂涎ともいえるこの遠征に参加することができたスポーツ選手は、当時の日本陸上界の錚々たる面々でした。この遠征に帯同した選手たちがサウナに入り、多大な影響を受けたことが記録されていました。特に後の日本人初、アジア人初の金メダリストとなる三段跳びの織田幹雄選手がサウナに魅了されてしまいます。当時のことを織田は日記に次のように残しました。

帰りを蒸風呂屋に行く。15 Markaaを払って中に入ると中央にプールがある。其のまわりにずっと洋服をぬぐ処がある。素はだかになるとタオルの着物をかして呉れる。其れを着ていよいよ蒸風呂なるものに入る。二段になった階段が作ってあって上の段に腰を下ろしているとバケツに一杯の水と木の葉を渡して呉れる。隅の方にかまがあり其の中に石が入れてある。其の石に水を入れると熱い蒸気が出て来てたまらない程熱い熱い。木の葉に水をつけて身体をたたくのだ。もっとむさくるしい処かと思っていたに相違してとても綺麗な処だ。日本の蒸し風呂よりも此の方が良い。熱いのを我慢してしばらくすると身体中汗になる。案内して呉れたフインランド人は平気で居るには驚いた。
風呂から出ると直ぐ前に寝台を置いた部屋があって其処にお婆さんが居て身体を流して呉れる。日本ならとてもはづかしくてやれないが平気で身体を流させる。其れがすむと自由にプールに飛び込める。プールに飛び込んだ時の気持は何とも言へない。プールからあがって洋服を着ると身体がポーとして何とも言へない気分になり、眠くなって来る。此れなら疲れはとれるし又元気が出て来るだらう。

出典:『陸上競技ヨーロッパ転戦機』(有斐閣アカデミア)

なんと、織田は「身体がポーとして何とも言へない気分になり、眠くなって来る」というサウナハイまで体験していたのです! 日本人で最初に水風呂体験し、「ととのった」記録を残したのは、日本人初の金メダリスト・織田幹雄でした。それから織田は、サウナがスポーツ疲労回復に役立つことを実感しました。後輩の日本人選手たちに全力でサウナを勧めていきました。

世界中のサウナを旅して研究している筆者が撮影した、ノルウェーの「SALT」の巨大なサウナ室内。

蒸し風呂を愛した日本人

サウナ浴は不思議な入浴方法で、金言があります。それは「最初からサウナを好きな人は誰もいない」という言葉です。誰もが「水風呂に入るなんて無理!」と叫んでいたはずなのに、「水風呂がないなんてサウナじゃない!」と口を揃えて言い始めてしまうのですから。いまの日本の風呂文化は江戸時代からのもので400年程度。でも、それ以前の日本人たちは長い間ずっと蒸し風呂に入ってました。その期間は約1300年以上。そう、実は日本人とサウナは相性がいいのです。現在は空前のサウナブームですが、今回なぜ「ととのう」のかと振り返った時に、岡部平太や織田幹雄たちといった先人のおかげであることがわかりました。日本式の蒸し風呂で現存しているところは、香川県の「塚原のから風呂」ほか数件。未来のサウナを考えた時に、僕はいつか日本式の蒸し風呂を復活させたいと夢見ています。フィンランド式もいいですが、日本人にピッタリのサウナが、過去からアイデアをもらえるような気がしているからです。

現存する数少ない蒸し風呂である香川県の「塚原のから風呂」。(筆者撮影)

現存する数少ない蒸し風呂である香川県の「塚原のから風呂」。(筆者撮影)

現存する数少ない蒸し風呂である香川県の「塚原のから風呂」。(筆者撮影)

現存する数少ない蒸し風呂である香川県の「塚原のから風呂」。(筆者撮影)

ナビゲーターの声

サウナとオリンピックの結びつき、もっと言えばサウナがスポーツ選手の活躍に心身の両面から深く貢献していたとは考えもつかなかったです。僕は1964年の東京オリンピックの年に生まれました。日本でのサウナの原点がその東京オリンピックにあることを知って、お風呂好きの僕はなんだか鼻高々な気分です。フィンランドの選手がサウナという文化によって心身ともに「ととのっていた」こと、そしてそれが優秀な成績に繋がっていたという分析がとても印象的です。しかもそれを日本人が積極的に取り入れていったところにも、和洋折衷、海外のいいところをどんどん取り入れていく日本人らしい精神性を感じました。たかがお風呂、されどお風呂。サウナ研究家と名乗る草彅洋平さんの研究は、数々の文献を調べ史実に基づいたお風呂の文化論とも言えるのではないでしょうか?

New Article