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「綺麗にすることって毎日お風呂に入ることだけじゃない」 フォトグラファーヨシダナギの目に映る少数民族の誇りと美意識

ヨシダナギさんの撮る写真が好きでずっと注目しています。アフリカの人々の生き生きとした美しさにいつも心が揺さぶられるのです。一度ラジオで対談させていただく機会があり、その柔らかな口調の中に、ナギさんのただならぬ強い思いを感じていました。そんなナギさんが初めて語るお風呂観とは?

亀田誠治

ヨシダナギ

1986年生まれ。独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする少数民族や世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。同年、講談社出版文化賞 写真賞を受賞。以降、国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。

お風呂を中心にわたしのライフワークを語るのは初めてです(笑)。 適切なお話ができるか不安ですが、旅先で見たものをお伝えしますね。

フォトグラファーヨシダナギのルーツ

私がアフリカの少数民族に憧れを抱くようになったきっかけは、5歳の時にたまたまテレビで見たマサイ族に一目惚れをしたことでした。カッコいいなって。自分の中でヒーローのような存在になったんですけど、周りに共感してくれる人は誰一人いませんでした。私が実際に見ているヒーローの姿をみんなにも共有したいとずっと思ってました。

小さい時から自分と違えば違う人ほど魅力を感じる傾向にあったような気がします。少数民族の衣装の華やかさやスタイルが、ただただ美しいなって。憧れの彼ら彼女らに会いたい、そのカッコ良さをみんなに伝えたいという5歳の時の初期衝動だけで今を生きている気がします。

思い描いたヒーローとの向き合い方

私が少数民族の魅力を伝えたい人って、元々少数民族に興味がない人なんです。人って、普段出会うことがない人や価値観に対して恐怖心を抱くものじゃないですか。だから、その壁を取っ払って、世界にはこんなかっこいい人たちがいるんだと知って欲しいと思いました。そのためには「わかる人にはわかる写真」では伝わらないんです。では、どうやって撮影すれば興味を持ってくれるかなと考えた時に、自分が小さい時に見たヒーローのようなイメージを演出して、ファッションフォトのような作品撮りをアフリカで実践してみようと思いました。

いわゆるアフリカの写真というと「ハゲワシと少女」のような写真を想像する人が多いと思うのですが、アフリカだって何も厳しい現実だけじゃないんです。当たり前ですけどそこには人々の日常や暮らしがある。だけど、なぜかアフリカを題材にするならジャーナリズム的な写真を撮るべきだという風潮があるように感じる。私が知っているアフリカには、華やかで、カッコよくて、ファッションモデルのような少数民族がいて、すごく誇り高く生きている。その両側面を見てアフリカを知って欲しいなと。

でも、今まで誰もそんな写真を撮っていなかったので、はじめの頃は、モデルになってくれる人たちに思いやイメージを伝えるのにすごく苦労しました。そこに近道はありませんでした。なぜこの場所で撮影するの?なぜこのポーズを取るの?そもそも、なぜ撮影するの?彼ら彼女らにとっては、すべてが謎ですよね。でも、撮影自体が一度も破談になったことはないんです。お互いに言葉が通じないので、動物的本能で相手を見るんですよ。だから嘘をついたらすぐにわかります。逆に嘘さえつかなければちゃんと行動を見て信頼してくれるので、その方が早く関係が築けると彼ら彼女らと過ごす度に痛感しています。

 

また、彼ら彼女ら自身も自分たちの文化が変わっていくことや、やがて失われていくことを自覚している場合もあります。あなたが伝えてくれるなら私たちも知ってもらいたいという共通の思いはあると思っていて、そこが合致するからこそ撮れた作品も多くあります。

「綺麗にすることって毎日お風呂に入ることだけじゃない」

ここから、今日のメインテーマのお風呂のお話しをしたいと思います。

 

日本人は、お風呂に馴染み深い文化だと思うんですけど、アフリカの少数民族の集落にはシャワーなんてありません。では、入浴はどうしているのか?というと、彼ら彼女らには私たちとは違った習慣があるのです。例えば、ナミビアのヒンバ族は、生涯お風呂に入らない民族としてフォーカスされることがありますが、私が見たヒンバ族はものすごく綺麗でした。毎日、香付けで煙を浴びたり、赤土を塗って肌を綺麗にしたり。どの民族もそうなんですけど、自分たちが1番美しいと思う美意識を持っていて、誇り高き美しさを保っている。だから他者と比較して卑下しないし、そういうところが私が彼ら彼女らのことが大好きな理由の1つでもあります。

また、エチオピアに住むスリ族は、メイクで気分がわかるんです。今日は機嫌がいいから盛ってるなとか、今日はシンプルだから落ち着いて過ごしたいのかなとか。あと、若い世代の方が派手ですね(笑)。彼ら彼女らは毎日メイクをするわけではないですが、一種の感情表現みたいなものに近いと思います。そんな彼ら彼女らのメイク落としは川にダイブです。メイク自体は土を水に溶かした絵の具のようなものなので、一瞬で落ちます。でも中には、あれ?2〜3日化粧を落としてないのかな?めんどくさいのかな?って人も(笑)。私たちの感覚にすごく近くて親近感が湧きます。

他にも、砂漠のエリアに住む民族は水が貴重なので、砂で体を擦ったり、アクセサリーを砂で磨き上げたり、砂が水の代わりになっているエリアもあったりします。

日本だと入浴方法といえば、お湯に浸かることやシャワーを浴びることを指すと思うのですが、世界にはそうじゃない入浴方法もたくさんあるなと、この記事の話をしていて改めて思いました。

実は、もともと大のお風呂嫌い

私のお風呂観についてはというと、実は私、幼いころからお風呂が苦手だったんです。ゆるされるなら極力入りたくないと思ってました(笑)

 

アフリカにいく時は大体1週間〜2週間くらいの旅になるのですが、現地にお風呂なんてないので、キャンプ用のシャワーキットをガイドさんが持ってきてくれるか、金タライ1杯の水とコップを渡されてそれで全部を洗うということを何日かに1回します。2台のランドクルーザーのサイドミラーにタオルを引っ掛けて、青天井の簡易的なシャワーブースを作ったりしています。以前、水浴びをしていたら、現地の子供たちに囲まれたことがありました(笑)。どうやってこいつは水浴びするんだろうっていう、好奇心だったと思うんですけど。

そんな生活を送っていると、お風呂嫌いの私でも日本人として3〜4日お風呂に入らないことがいかに気持ち悪いかということに気づきました。金タライも水シャワーも寒くて嫌だけど無いよりは全然いい。気分がリフレッシュされるし。水に流すっていう言葉があるように、水自体が気分にしても空気感にしてもそれをスーって流してくれる気がしていて、ロケが終わった後はどれだけ大変だったとしても水に流すことでリセットして翌日に挑むことができるんです。

 

次第に、帰国して自宅のお風呂に入ることを楽しみにキャンプを頑張れるようになりました。ヒンバ族のところへ行った後はしばらく赤土が取れませんし、砂漠にいくと2〜3日髪の毛から砂が落ちてくるなんてことも。ずっとそんな感じなので、今では、お風呂は生活に欠かせない場所になっています。

きっかけの連鎖と未来の希望

こんなにお風呂を中心に私の活動をお話したことは初めてでした。

 

振り返ってみると色んな人に出会ってるんだなって改めて思います。私は、将来の展望を持たず、未来をしっかり決めることに窮屈さを感じるタイプなんですが、自分みたいな人間が少数民族とのつながりから世に出させてもらって、仕事を手に入れられて、好きな人に会いにいくことができている。私が撮った写真でも、もしかすると同じような人が現れるんじゃないか、少数民族が誰かの背中を押すきっかけになってくれるんじゃないか。そんな連鎖が増えていけばいいなと未来の希望を思うようになりました。

 

昨年(2022年)は、ドラァグクイーンを撮影した作品を発表しました。そうした経験を経て、今改めて、私にとっての原点であるアフリカに戻りたいという気持ちが強くなりました。新しい被写体に運命的に出会えることはすごく歓迎したいけど、やっぱり私はアフリカの少数民族の彼ら彼女らと一緒に何かをやっていきたいと考えています。

 

これからもそんな仕事がしたいですね。

ナビゲーターの声

ナギさんのお話に大きな気づきがありました。それは、人に思いを伝えるためには、相手の背景にある生活や文化まで考えて、丁寧に気持ちを伝えていかなければいけないということ。さまざまな民族において、お風呂の概念も役割も多種多様で、お風呂を通じてあらためて多様性の尊さ、美しさ、ポジティブな側面がスッと心に入ってきました。フラットなつもりでいても、どこか凝り固まっている偏見や思い込みの「垢」を、ナギさんの写真がまるでお風呂のように、解き放ち、洗い流し、綺麗な心にしてくれたような気がします。

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