「過去の歴史に未来を考えるヒントがある」 カフェ・カンパニー楠本修二郎が語るこれからのお風呂の可能性
さまざまな飲食店や空間を運営・企画する実業家の楠本修二郎さんにとってのお風呂とはどんな場所なのか?ある意味僕と同じく何かを「プロデュースする」という立場にいらっしゃるわけなので興味津々です。
亀田誠治
日本の薬草文化から考えるこれからのお風呂の可能性
今って、サウナブームですよね。ぼくの友人にも多くのサウナーがいます。フィンランド式もすごく流行っていますし。ぼく自身は、普段めちゃくちゃお風呂にこだわっているというわけではないのですが、ある経験をきっかけに「やっぱりお風呂って面白いな」と思うようになりました。あるご縁で奈良の宇陀市に行った時のことです。案内をしてくれた人が「ここは薬草の街なんです」と教えてくれました。
それを聞いて調べてみると、1500年以上前の推古天皇の時代から薬草を狩って届けていたという記録が残っている。そして、その後、宇陀の街から、ロート製薬や、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)、武田薬品工業など、日本を代表する製薬会社が輩出されています。歴史が今に引き継がれて、名だたる名企業になっているって、素直にすげえなと感心しました(笑)
ここからお風呂の話に繋がっていくのですが、風呂(ふろ)の語源ってなんだと思います?色々な意見があるのですが、一説には室(むろ)がなまったものと言われています。お湯が一般的に普及していったのは江戸時代以降なので、風呂とは元々「室」つまり蒸し風呂のことだったんです。狭い部屋を蒸気で満たして、薬草を身体に刷り込んでいく、それがかつての日本のお風呂のスタイルです。これって、何かを彷彿とさせません?
あ、もしかして!そう。フィンランド式のロウリュみたいですよね。「日本にもサウナの原点があるじゃないか!」って、そこで気づきました。今のフィンランド式サウナブームのロウリュのように、時代に合わせたスタイルで良いと思うんですけど、そこにちゃんと日本古来の文化が再解釈されて存在していると素敵ですよね。そうやって、ブームを骨太なものにすることで、新しいカルチャーになっていく可能性が見えてくるんだと思います。
日本古来の薬草文化にはお風呂の可能性を広げるためのヒントがつまっていそうですね。そうなんです。その後、薬草の宝庫として知られる岐阜県の伊吹山に足を運びました。スキー場として有名なところですね。鬱蒼とした森のところと、低木しか生えていないところが極端で、自然の森が生えにくい地形なんです。植物が育つには厳しい環境だからこそ、そこに根を張る薬草は強い。草原に足を踏み入れた瞬間に、草の香りが全身を駆け巡るような強烈な感覚に襲われました。その土地の守り人に話を聞くと、「この草は薬になって、この草は美味しくて、この草は絶対に食べちゃだめ」ということを昔の人はみんな知っていたそうです。そして、薬である草を摂取する方法のひとつが風呂であったことを知りました。食べる、飲む以外に、鼻腔や毛穴から、全身で薬草を摂取する。そのための方法としてお風呂がある。これが日本の草と人と風呂の歴史なのかと思いました。
ぼくは、仕事柄なのか、その土地の記憶みたいなものがすごく気になるんです。行く先々の土地で歴史を学んで、それを自分なりに解釈するということを続けています。「そういうことか!」と自分なりに理解をした瞬間にコンセプトになって、そこからビジネスに繋がっていくこともあります。元が自分の記憶だと原価はゼロですみますから(笑)
だから、お風呂の可能性を考える上で古文書をひもといていくみたいなアプローチもありではないかと思います。お風呂は元々治癒のためのもの、健康のためのものだったという視点から考えると、現代のニーズに合った新しいお風呂のかたちが見えてくるかもしれません。
ご存じの通り、日本は人口減少社会でこの先どんどん人口が減っていきます。私は、昨年、日本が抱える社会課題を「食」で解決する未来戦略をまとめた本「おいしい経済 〜 世界の転換期 2050年への新・日本型ビジョン 〜」を出版しました。日本が少子高齢化の人口減少社会であることは誰もが知っていますが、人口の規模が実際にどのくらいになるのか、正確に把握している人は世のリーダー的な立場にいる人でもそう多くはないかもしれません。
たしかに、具体的な数値を想像したことはありませんね。
日本の人口は30年後の2050年には9千300万人、80年後の2100年には4800万人になるという予測があります。4800万人というとちょうど明治時代くらいの規模感になります。「明治時代の生活ってどんな感じだったんだろう」という視点で見ると、過去の歴史の中に未来の社会をつくるためのヒントがあると考えることもできますよね。
ぼくは今、あるプロジェクトで江戸料理を再考して未来の社会に向けたレシピをつくることに挑戦しています。お風呂についてもそういう発想で考えると面白いと思います。

お風呂は自分を解放するための空間かもしれない
ぼくとお風呂の関係の話をすると、普段はカラスの行水なんです。めんどくさがりなので。
でも、家で一番こだわったのは実はお風呂なんです。
ひとりでいる時間を作りたい時ってあるじゃないですか。そんな時はお風呂に長く入ります。
だから、人や電波から完全に遮断されてひとりで放心状態になることができるお風呂は大切な場所です。普段仕事などで人と会っている時は目の前のことに全集中しているので、お風呂で、ひとりでぼーっとしながら何となく放電しているような時間が必要なんだと思います。
サラリーマン時代、新卒で入社したリクルートコスモス(現コスモスイニシア)で、未上場株の譲渡が問題となった“リクルート事件”という大変な事件が起こり、対応に終われた日々がありました。
当時、ぼくは社長室に勤務していたので、連日、東京地検特捜部の対応をし、その後、会社に戻って、毎日深夜2~3時くらいまで会議が続く。世はバブルの絶頂で、会社がある銀座はタクシーが全く捕まらず、、歩いて家に帰る日もありました。
そんな過酷な日々の中で、ぼくを癒してくれたのがお風呂でした。当時、ぼくが住んでいた会社の寮には共同の大きなお風呂があって、何時に帰って来ても必ず、なぜかお風呂に先輩たちがいたんです(笑)。当然、事件の対応をしていることは他の社員には言えないので、深夜に帰ってきたことを適当にごまかしていると「お前、今日も飲んで来たのかよ。いいよな社長室はよー」と言われて「すみません、また、やっちゃいました(笑)」みたいな会話が繰り返されるんです。でも、そんななんてことのないやりとりに救われたんです。

お風呂って、面白い空間だと思います。特徴は、角度じゃないかな。テーブルについてご飯を食べる時みたいに対面になることはなくて、湯船に浸かった時、向き合わず横とか斜めを向いてしゃべるじゃないですか。同じ方向を向いてるから、相手の顔が見えないんですよね。しかも、湯気が立っていて視界もクリアではないですし。ある種の匿名性がある空間だからこその安心感があるのかもしれません。
お風呂は匿名性がある空間というのは面白い視点ですね。
湯気の役割は大きいかもしれません。
人間は情報の8割を視覚から取り込んでいると言われていますが、その情報が入ってくる目をゆるやかに遮断して保護してあげる役割がお風呂にはあるのかもしれません。瞑想に近い感覚かもしれませんね。湯気があるからこその空間との曖昧な一体性やそこに生まれる余白。その曖昧な余白の中に人がいて、目線はあってないけど、「お前、最近どう?」みたいな会話をしている。
まさに、それですね。日本のお風呂の歴史をさかのぼると、そこには薬草文化と共に、精神的な神秘性とか、心の回復みたいなものがあるのかもしれません。瞑想と覚醒のための場所。あるいは自分自身を解放するための場所。そんな視点でお風呂を考えてみるのも面白そう。そうだ!商品を一緒に開発しません!?おふろカンパニー!
